スケートをやりながら小・中学生の時にサッカーも同時にやっており、中学生の時には年代別の女子の代表に選出される可能性のあったスピードスケート女子日本代表の高木美帆選手(たかぎみほ選手)がゲストとして呼ばれて「成長への糧」について話をしてくださいました。
サッカーの技量も相当なものであった高木美帆選手(たかぎみほ選手)が、どのようにサッカーのはなしをからめながら、スケートの話しもしてくださるのか?
また、平昌オリンピックの裏話もしていただけるのか?という点が気になったので視聴しました。
目次 Contents
高木美帆選手(たかぎみほ選手)について
中学生の時にオリンピックにデビューしたスピードスケート選手です。この時にバンクーバー五輪に出場しました。
生年月日:1994年5月22日(23歳)
所属:日本体育大学(日本体育大学体育学部体育学科を卒業して、現在は日本体育大学助手)
出身地:北海道中川郡幕別町
姉妹:3人兄弟でお兄さんとお姉さんの高木菜那選手(たかぎなな選手)の3人兄弟
兄や姉の影響で5歳からスケートを始めたそうです。
平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)では金銀銅と全てのメダルの種類を獲得した。
金メダル:女子団体パシュート
銀メダル:1500m
銅メダル:1000m
同一大会で全てのメダルを獲得するのは女子選手の中で初。
また、平昌五輪で高木姉妹が獲得したメダルの数が国別のメダルランキングに当てはめると13位だったことが分かり、ネット上で話題になりました。
ちなみに、高木姉妹が獲得したメダルの数は「金メダル:3つ、銀メダル:1つ、銅メダル:1つ」で12位のイタリア(金:3、銀:2、銅:5)に次ぐものでした。
金メダルの3つは団体パシュート(姉妹で出場のため2つ)、高木菜那選手のマススタートでの金メダル。
サッカー経験について
サッカーは小学生(7歳の時に始めて)から中学生までプレーしており、中学生の時には、北海道選抜に選出されたうえに、U-15のナショナルトレセン合宿にも参加されていました。
ちなみに、この時に参加していたメンバーには楢本光(ならもとひかり)選手など、現在、なでしこジャパンに選出されている選手と一緒に合宿をしていました。
番組の中でも、ヒールを履きながら右足でリフティングを実施しましたが、かなりうまかったです。
ご本人が語ったリフティングがうまくなった理由が、最初はみんなの輪の中に入れなかったのでリフティングばかりしていてそれでうまくなったと裏話を語っていました。
また、高木美帆(たかぎみほ)選手は、スピードスケートの中でも1000mから3000mまでの中距離をメインに競技に取り組まれていますが、サッカーが与えた影響については、以下のように語っていました。
中距離が得意だが、心肺機能はサッカーの影響もある。
サッカーをやっていたからこそ、夏場のトレーニングで鍛えられたのではないか?
スケートのトレーニングではあれだけできないのではないか。
と仰っていました。
子どもの成長の段階を考えた時に、中学生の頃には、心肺機能が特に鍛えられる時期であると秋田豊さんも語っていました。
フットブレインでの内容
今回のキーワードは「一流への成長の糧」
どのようにモチベーションを維持しながら成長していくにはどうすればよいのか?という点について、高木美帆(たかぎみほ)選手の経験をもとに
話しが展開されました。
一番大事なこと
→ 自分自身を変えること
転機は?
→ ソチ五輪での落選
中学生で出場したバンクーバー五輪の次のオリンピックであったソチ五輪で落選となりましたが、この落選が自分自身を変えた転機だったそうです。
バンクーバー五輪の後も、日本代表に選出されていたこともあり、新しくする必要もないと思っていた、不安もあってそれ以上変わることが怖くなっていて、昔のやり方に個室していた。その時から、何かを変えなきゃいけない、変わっていかないといけないと思い始めたとのことです。
具体的に変えた3つのこと
・食生活
・靴
・練習法
食生活に関して
ピョンチャンオリンピックのシーズンの春先から栄養士さんを付けたとのこと。
それまでは独学で気を付けられることは気を付けていた、全てを完璧に準備するには、自分の力だけでは補いきれないと判断した。
正しく意識しやすくなった。自分の労力を使わなくてもいいものを自分でチョイスできるようになった。
慣れるまでは大変だった。ただし、もともと料理は好きだった。
靴に関して
提供されていた靴を、あるものを使っていた。特にこだわりがなかった。
ソチオリンピックの後に、道具に対しても執着をしていかないといけないと感じる機会があった。
その時から、初めて靴を作らせてほしいとお願いをした。
決めつけるのではなく、いろいろ試してみる必要があると思い、自分からお願いしたい。
『自分が欲してないと吸収する力は何分の一にもさがってしまう。』
自分でいいと思えないと、その人にとってはいいことではないのかもしれない。
練習方法の変更に関して
練習についての考え方が変わったのは、オランダからヨハンコーチを招聘したことが影響しているとのことでした。
ソチオリンピックでオランダに完敗したこともあり、日本のスケート界が危機だと感じていた。
オランダ出身のコーチ(ヨハン・ブリット氏)が日本のヘッドコーチになり、それからガラッといろいろなことが変わった。高木選手自身も、全てにおいてスケートに関係する環境を整えることが大切だと感じた。
どうせ言っても変わらないからと思って、それならあるものに自分を適用させようというタイプであったが、1回言ってみることで何かが変わるかもしれない、外人の性格だと思うがいろいろ言ってくる、これはできるのか?できないのか?そういう風にスケートに対してわがままになることも大切だと感じた。協会の人たちが絡んでくることは自分たちではどうしようもないことが、確かにあるが、それでも言ってみることが大切。
トレーナーさんがこのタイミングでいてほしいが、そのタイミングでいないことがあった。
ひとまず、いて欲しいタイミングがいつなのかを選手として伝えてみる。とりあえず言ってみようという意識がついたかもしれない。
この話を聞いて、高木選手が先日の自民党大会に出席してお願いしていた「冬季競技用のナショナルトレーニングセンター」のお願いをしたことを思い出した。
とりあえず言ってみることが大切だということを実践しているが伺えました。
教育実習の映像も
学生時代の教育実習の映像も紹介されていました。高校での教育実習での様子が紹介され、生徒たちに「発展途上であること、何かつらいことがあっても逃げずに1度は向かい合ってほしい。」という話しをしていました。
この映像が流れた後で、高木選手自身がピョンチャンオリンピックまであと2年の時期での教育実習であったこと、生徒に話をしているが、自分に向けても言っていたことではないかとも話をしていました。
ただ、逃げないでということも話していましたが、「凄い辛いときは逃げてもいいと思う。壊れるぐらいなら、逃げてもよい。」ということも番組の中ではおっしゃっていました。
これからの進化は?
次、どういうモチベーションでスケートをやっていくのか?と思ってはいるんですけど、たとえば、次のオリンピックを目指します!となったら、それをいう時は、前回の4年間を超えるだけのことをやって行く覚悟を決めないと言えないなと思っている。
そう簡単に言える自信がないが、でも、だからこそ、新しい気持ちでスケートに向き合いたい。とは思っている。
別の角度からスケートにアプローチしても面白いのかなとは思っている。
スケートの裾野を広げるために
フットブレインからスケート場に関して、デジサーフという会社が樹脂製のリンクを設置して、夏はBBQ場を冬はスケートリンクを商業施設などに作る取り組みを行っていることが紹介されていました。
この取り組みを見て、高木選手が「気軽に触れ合えることが大切。やってみることができるのは面白い。」という話しをしていました。
サッカー界への提言
最後にサッカー界への提言として以下のようなことを仰っていました。
自分たちもできるんだと思えた時に強くなれるのではないか。成功を少しづつ積み重ねていって、自分たちはできるんだ、他の国との違いはないと感じて行くことが大切。
自分のできることを増やしていけたというのが、今回のオリンピックでは感じているからこその感覚だということで、この話がありました。
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