1990年代に高校サッカーに身をおいていた自分にとってYASUDA(ヤスダ・安田)のスパイクは身近なものでした。
その当時はYASUDA(安田)であったり、クリックスヤスダと呼んだりしていたなぁと記憶がよみがえりました。
自分がYASUDA(ヤスダ、クリックスヤスダ)のスパイクを履いていたわけではありませんが、同じサッカー部の仲間には愛用している者もいたりと、YASUDA(安田、クリックスヤスダ)のスパイクはいくつかあるスパイクメーカーのひとつとして認識していました。
そのYASUDA(安田、クリックスヤスダ)ですが2018年に新しく復活したという話しを知り、どのような経緯があったのか?を知りたく、フットブレイン(FOOT×BRAIN)を見て、放送された内容をまとめてみました。
目次 Contents
YASUDA(ヤスダ)のスパイクとは
純国産(メイド・イン・ジャパン)のサッカースパイクのメーカーで元ブラジル代表のドゥンガ氏も愛用していたスパイクです。
また、高校とコラボしたスパイクもあり、帝京高校モデルなどもありました。
「クリエイター」「カミナリライン」「ジャイールライン」など、番組の冒頭でもMCの勝村(かつむら)さんと元サッカーの日本代表の都並(つなみ)さんがYASUDA(ヤスダ)のスパイクの話しで大盛り上がりでした。
このように一時代を築いたYASUDA(安田)のサッカースパイクですが、2018年に16年ぶりに復活しました。(そういえば、YASUDAのブランドを聞かなくなったと思っていましたが倒産していたとのことです)
YASUDA(安田)の歴史
1932年(昭和7年)に安田靴店が創業されました。
1936年(昭和11年)には安田のスパイクを履いた日本代表チームがベルリンオリンピックで、当時優勝候補であったスウェーデン代表に3-2で勝利して「ベルリンの奇跡」に貢献したそうです。
戦後は、国内随一のサッカースパイクのブランドになりました。
ただ、1970年以降になると、アディダスやプーマなどの海外ブランドに登場によりシェアが低下してきたとのこと。
1995年(昭和7年)にドゥンガ氏とのアドバイザリー契約をかわして打開しようとしましたが、経営が悪化して2002年の日韓ワールドカップ前に倒産してしまいました。(倒産したのが2002年というのも何とも言えないですね)
YASUDA(安田)を復活させた立役者
株式会社YASUDAの代表取締役である「佐藤和博(さとうかずひろ)」さんです。
佐藤和博さんと安田のスパイクの出会いは中学2年生のころだそうです。
佐藤さんの足は、典型的な日本人の足で幅広であったことから、スポーツショップ(フタバスポーツさん)の店員さんから「YASUDA」を勧められたとのことです。
なお、その時に店員さんから「YASUDAを知らないならサッカーを辞めた方がいいんじゃないか」とも言われたそうです。
(店員さんのYASUDA愛も感じられるエピソードですね)
参考までにフタバスポーツさんのサイトを載せておきます。
この時以来、佐藤さんはヤスダのスパイクを履いていたとのことでした。
その後、社会人になってフットサルをしていた時にご自身が安田のスパイクでオールカンガルーのものがあったことを思い出したようで
お店に買いに行こうと思い、ヤスダについて調べてみるとヤスダが倒産したことを知ったとのことでした。
なお、佐藤さんですが、クラウドファンディングの事業を、それもスポーツと健康に特化したクラウドファンディングの事業をやっていたこともあるので「むかし履いていたスパイクを自分の手で復刻したら面白い」ということで、そこがYASUDAを復活させるスタートになったということでした。
YASUDAの復活にむけて
YASUDAを復活させようと思っそうですが、その過程でやはりいろいろな課題があったとのことでした。
ただ、課題が出るたびに不思議と救いの手があったとのことです。
放送では「商標」「木型」「クラウドファンディング」という3つの点が紹介されていました。
YASUDAの商標
YASUDAの権利や商標については昔、YASUDA(ヤスダ、クリックスヤスダ)に勤めていた「齋藤圭太」さんがYASUDAを復活させるため権利などを持っていたとのことです。
齋藤さんも「なんとかYASUDAのブランドを残したかった。いつかシューズを復活させたい」という想いがあったそうです。
佐藤さんが齋藤さんに合いに行ったそうですが、最初は信じてもらえなかったとのことでした。
佐藤さんがやりたいことを手紙に書いて齋藤さんに送り、そこで、斎藤さんから連絡があったとのことです。
とにかくやりたいということを伝えたそうです。
齋藤さんも佐藤さんの行動力や企画力に期待して「シューズ作りのノウハウを持つ人間と企画力のある佐藤さんが一緒に行動すればひとつの形になるのではないか」と感じたそうです。
このように齋藤さんと繋がりを持てたことでYASUDAの復刻が始まったとのことでした。
木型や金型がない
スパイクを作るには、設計図となる木型や金型が必要ですが、以前の木型や金型を探すためにかつての製造工場を調べてみたとのことでしたが、工場もことごとく倒産していたとのことでした。
そんな中でようやく、福島の工場で15年間、当時の木型が残っていたのを見つけたとのことでした。
YASUDAのクラウドファンディング
木型も見つかり実際にスパイクの製造ができる所までたどり着いたとのことでしたが、資金の問題があったとのことです。
そこで、資金を集めるために佐藤さんがもともと事業をしていた「クラウドファンディング」を利用したとのことでした。
そこで「YASUDAオヤジ」と繋がりが持て、とくかくたくさんのYASUDAオヤジが現れたとのことでした。
そのためか、クラウドファンディングを活用して、300人近くの出資者が現れ、目標額750万円に対して最終的には、850万円があつまったとのことでした。(クラウドファンディングの募集は2018年5月に終了しています)
2か月間で上記の金額が集まり、YASUDAオヤジたちからコメントをいただいたとのことでした。隠れていたYASUDAファンが多かったことでこれだけの出資者が集まったのではないかと思いますと佐藤さんも仰っていました。
復刻されたサッカースパイクはカンガルー革のスパイク
復刻(復活)したサッカースパイクはカンガルーの革を使っているものでした。
ちなみに、現在スパイクを製造している工場の様子も放送されており、そこでは、1頭分のカンガルーの革を使ってサッカースパイクを製造しているが、1頭のカンガルーからは2足くらいしか革がとれないとのことでした。
ただし、カンガルーはサッカーのスパイクの革としては、最高品質でカンガルーは強さとしなやかさを備えている革だそうです。
MCの勝村さんが復刻したサッカースパイクを履いていましたが、柔らかくて優しい。フィット感がよいとの感想を仰っていました。
また、復刻したスパイクは世界からも注目されており、サウジアラビア、オランダ、などからも問い合わせがあったこともあり、グローバル展開(海外展開)も考えていると佐藤さんは仰っていました。
ちなみに、都並さんが海外バージョンはYASUDAではなく「安田」を漢字にするといいんじゃないかという話しもしていました。
なお、YASUDA株式会社ですが、2018年5月に法人化し、アンバサダーには「手倉森監督」が務めています。
2019年3月10日時点でYASUDAのスパイクを購入できる場所を探しましたが、オンラインショップのみの様子です。
ただし、現在はサッカースパイクは販売されていませんでしたが、「YX-2019(YX2019)」の予約を受け付けていました。
このサッカースパイクですが、「YX-2019(YX2019)」用のサイトもありました。
この「YX-2019(YX2019)」ですが、カンガルーレザー使用で「21600円」でした。
なお、この「YX-2019(YX2019)」のサッカースパイクですが、ラグビーファンの要望も踏まえてラグビーでも履けるようなカラーを
展開しているとのことです。(下記の画像はYASUDAオンラインショップから引用)
ラグビー選手であったも、サッカースパイクを履いている方も多いようです。
最後に
サッカースパイクは復刻しましたが、今後はフットサルシューズやタウンユースでも履けるようなスニーカーも展開していく予定とのことでしたので、あのYASUDAのラインのスパイクやスニーカーが増えることで履ける機会が増えてくるかと思うので今後のYASUDAの商品展開を気にしておきたいと思います。
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